天国の階段
「三文小説」T-56
3つの文で綴る、さんぶん小説
『天国の階段』
最愛の彼女を交通事故で失って、5年が経とうとしているが、それでも今にも目の前に彼女が現れそうな気がしてならず、不可能と知りつつも、ひょっとして、また彼女に会えるかも知れないという、儚い期待を胸に秘めながら、僕は今日のような満月の夜に、天国まで延びる階段が出現したという伝説が残る、南太平洋のM島の海岸を一人ぼんやりと歩いていた。
そして、遠浅の海岸に寝そべって、月光に照らされながら寄せては返す穏やかな波を見ていると、おや?待てよ、
ある波は寄せるだけで引かないぞ、しかも寄せた波は、すぐに白い塩の塊と化し、よく見るとそれは高さ15センチ位のステップで、
その後、次々と押し寄せる波も同様に、下から前のステップを押し上げるようにして、見る見る塩の階段が出来上がっていった。
海岸から上向く前方に、その先端が遠ざかるように、階段はどんどん空まで伸びて、僕は何かに引っ張られるように、その階段を上って行き、振り返った時は、とっくに島の影は無くなっていて、雲も下に見え始め、すると、ふと前方に月光に照らされた人の影、それが彼女だと分かるのは容易で、瞳を探り合えるまで近付いた僕達は、何も言わずに、ただただキスをして、抱き締め合い
「もう二度と君を離すものか」
と心に誓ったのも束の間、昇って来た太陽が月の光を追いやり、
と、その瞬間、塩の階段は砂の城のように崩れ落ち、僕と彼女はしっかりと抱き合ったまま、遥か下の海まで落ちて行った、この時の幸せは、とても言葉に出来ない。
3Dタトゥー
「三文小説」T-18
3つの文で綴る、さんぶん小説
『3Dタトゥー』✒T.Kadota
ビルの壁に巨大な猫が出現し、動き回る様に見える立体の映像を見たことがあるが、この前これ同様のものを人の体で見た。
電車に乗っている時、座席の前に立つ半袖の男の腕から、白蛇が這い上がるのが見えたので、私は思わず
「あっ、蛇が、今、白蛇が体に入りませんでしたか?」 と問うと、男は
「あ、これね、大丈夫ですよ、タトゥーですから」
「どうなってるの?」
「よかったら、他にもっと凄いのお見せしますよ」
というので、私は次の駅でその男と一緒に降りて、トイレに行った。
男の背中には、雲の間を上昇する、それはそれは見事な龍が描かれており、と、見る瞬間、龍は男の背中から踊り出て、暫く私と男の頭上を浮遊したかと思うと、また男の背中に戻っていき、そのとても言葉に出来ない光景に唖然としていると、男は言う
「これは特殊な刺青技術と自分の血管のコントロールで出来る技なんですよ、このタトゥーが出来る彫師は、まだ世界で2、3人しかいません、わたしは彫三立(ほりさんりゅう)という日本の彫師に入れてもらいました」
「で、今はその彫師は何処に?」
「さあ、いつも世界中を流離っているので、どこにいるか分かりません、彼に会える人は、それこそ幸運です」 もし、何処かでこの3Dタトゥーを見たなら、彫師、彫三立を思い出して欲しい。
昭和の銭湯物語
「三文小説」T-53
3つの文で綴る、さんぶん小説
『昭和の銭湯物語-その2』
その頃、小学4、5年生のくせに、僕は近所の夕方の4時頃に開く銭湯の一番風呂を目指していて、学校が退けると、ダッシュで駆けつけたものだが、どんなに早く着いても、必ず僕より先に来ている客がいて、暖簾をくぐると、いつも赤い女物のサンダルが一足脱いであるので、すぐにその人のものだと分った。
その入浴客は、いつも眼鏡を掛けたまま湯につかっている、丸刈りの高校生で、不思議に眼鏡が湯気で曇らないので、その秘密を聞いたりしている内に親しくなり、またそのお兄さんは、怪談を語るのが得意で、いつしか僕は一番風呂に来る度に、そのお兄さんが作って話す怪談を聞くのが楽しみになっていて、怪談の時は決まって、外がすっかり暗くなるまで、長湯もいいとこで、序でに家に帰り着くまでの夜道は、その怪談の記憶で、怖くて仕方がなかった。
ところがその後、ある時からパタリとそのお兄さんを見なくなり、後から銭湯に来る僕の友達や、近所のおじさん達に訊いても、そんな高校生は今まで一度も見たことが無いと言う、そんなある日の銭湯の帰り、通りの向こうに、その眼鏡を掛けた丸刈りのお兄さんを見掛けた気がしたので、手を振ろうとしたが、トラックが遮り、通過した後には、お兄さんの姿はなく、あとで僕のお母さんの話を聞くと、もう何年も前に、あの銭湯の前の通りで、男子高校生が車に轢かれて亡くなったそうで、現場にはいつまでも女物の赤いサンダルが残されていて、暫く花も添えられていたと。