昭和の銭湯物語

「三文小説」T-53

3つの文で綴る、さんぶん小説

『昭和の銭湯物語-その2』  

 その頃、小学4、5年生のくせに、僕は近所の夕方の4時頃に開く銭湯の一番風呂を目指していて、学校が退けると、ダッシュで駆けつけたものだが、どんなに早く着いても、必ず僕より先に来ている客がいて、暖簾をくぐると、いつも赤い女物のサンダルが一足脱いであるので、すぐにその人のものだと分った。

 その入浴客は、いつも眼鏡を掛けたまま湯につかっている、丸刈りの高校生で、不思議に眼鏡が湯気で曇らないので、その秘密を聞いたりしている内に親しくなり、またそのお兄さんは、怪談を語るのが得意で、いつしか僕は一番風呂に来る度に、そのお兄さんが作って話す怪談を聞くのが楽しみになっていて、怪談の時は決まって、外がすっかり暗くなるまで、長湯もいいとこで、序でに家に帰り着くまでの夜道は、その怪談の記憶で、怖くて仕方がなかった。

 ところがその後、ある時からパタリとそのお兄さんを見なくなり、後から銭湯に来る僕の友達や、近所のおじさん達に訊いても、そんな高校生は今まで一度も見たことが無いと言う、そんなある日の銭湯の帰り、通りの向こうに、その眼鏡を掛けた丸刈りのお兄さんを見掛けた気がしたので、手を振ろうとしたが、トラックが遮り、通過した後には、お兄さんの姿はなく、あとで僕のお母さんの話を聞くと、もう何年も前に、あの銭湯の前の通りで、男子高校生が車に轢かれて亡くなったそうで、現場にはいつまでも女物の赤いサンダルが残されていて、暫く花も添えられていたと。